優
れ
た
統
治
は
教
育
に
見
る
こ
と
が
で
き
る
。
明
治
政
府
は
、
各
地
の
中
心
に
上
級
指
導
者
を
育
成
す
る
、
帝
国
大
学
と
旧
制
高
校
を
つ
く
っ
た
。
一
方
で
、
商
業
・
工
業
・
農
業
・
医
学
の
専
門
校
を
細
か
く
配
置
し
た
。
台
湾
に
も
、
帝
大
と
高
校
を
、
台
北
・
台
中
・
台
南
に
職
業
校
を
つ
く
っ
た
。
国
を
あ
げ
て
開
拓
し
た
北
海
道
に
帝
大
は
あ
っ
た
が
、
旧
制
高
校
は
な
い
。
教
育
シ
ス
テ
ム
の
点
で
、
北
海
道
よ
り
台
湾
の
方
が
整
っ
て
い
た
と
言
え
る
。
搾
取
を
目
的
に
統
治
す
る
の
が
植
民
地
だ
と
す
れ
ば
、
国
内
と
同
レ
ベ
ル
の
教
育
機
関
を
置
く
こ
と
は
、
通
常
あ
り
え
な
い
。
し
か
も
、
貧
富
や
出
身
に
関
係
な
く
、
魂
を
傾
け
教
育
に
あ
た
っ
た
。
甲
子
園
の
高
校
野
球
大
会
は
、
今
や
国
民
的
行
事
。
過
去
の
準
優
勝
校
の
中
に
「
嘉 か
ぎ
義
農
林
学
校
」
の
名
が
あ
る
。
昭
和
6
年
、
大
灌 か
ん
が
い
漑
排
水
事
業
の
完
了
し
た
年
で
、
穀
倉
地
に
変
貌
し
た
嘉
南
平
野
に
あ
る
学
校
。
だ
が
、
こ
の
嘉
農
野
球
部
は
一
度
も
勝
っ
た
こ
と
が
な
い
。
そ
こ
に
、
か
つ
て
松
山
商
業
を
率
い
た
近
藤
兵 ひ
ょ
う
た
ろ
う
太
郎
が
監
督
と
し
て
着
任
し
た
。
“
甲
子
園
に
行
く
ぞ
”
を
合
言
葉
に
猛
特
訓
。
大
人
や
他
校
の
嘲
笑
を
し
り
め
に
快
進
撃
。
あ
れ
よ
あ
れ
よ
と
い
う
間
に
優
勝
す
る
。
憧
れ
の
甲
子
園
へ
。
無
名
チ
ー
ム
の
下
馬
評
は
低
い
。
し
か
し
、
こ
こ
で
も
強
豪
を
な
ぎ
倒
し
決
勝
へ
。
敗
れ
は
し
た
が
、
一
球
た
り
と
も
あ
き
ら
め
な
い
、
ひ
た
む
き
な
プ
レ
ー
に
、
球
場
は
爽
や
か
な
感
動
に
包
ま
れ
た
。
再
び
台
湾
に
つ
い
て
。
東
日
本
大
震
災
か
ら
6
年
が
た
つ
。
あ
の
折
、
台
湾
の
人
々
の
心
温
ま
る
救
援
と
支
援
金
は
群
を
抜
い
て
い
た
。
昨
年
2
月
、
台
湾
南
部
で
大
地
震
が
あ
っ
た
。
お
返
し
に
と
、
日
本
で
活
発
な
募
金
活
動
が
行
わ
れ
た
。
世
界
を
見
渡
し
て
も
、
日
本
と
台
湾
の
好
ま
し
い
関
係
は
珍
し
い
。
そ
の
源
は
、
志
を
高
く
掲
げ
た
明
治
人
の
姿
勢
に
あ
っ
た
。
西
欧
列
強
の
植
民
地
の
治
め
方
に
は
二
通
り
あ
る
。
一
つ
は
、
細
部
に
入
ら
ず
、
現
地
の
支
配
者
を
通
し
、
現
地
の
方
式
で
統
治
す
る
。
も
う
一
つ
は
、
直
接
役
人
を
派
遣
し
、
自
国
の
言
葉
や
文
化
を
植
え
つ
け
る
。
い
ず
れ
に
し
て
も
、
利
益
を
吸
い
上
げ
る
の
が
目
的
で
あ
り
、
自
国
に
必
要
な
範
囲
で
し
か
産
業
や
教
育
の
水
準
を
上
げ
な
か
っ
た
。
日
本
の
場
合
は
違
う
。
台
湾
の
近
代
化
を
進
め
、
自
立
を
促
す
意
思
が
あ
っ
た
。
文
明
を
伝
え
る
と
共
に
、
台
湾
の
利
益
に
な
る
よ
う
に
と
い
う
視
点
が
あ
っ
た
。
そ
こ
に
は
台
湾
を
搾
取
の
対
象
と
し
て
で
は
な
く
、
本
土
の
一
部
と
し
て
扱
う
認
識
が
あ
っ
た
。
台
湾
の
民
主
化
に
貢
献
し
た
李 り
登 と
う
輝 き
元
総
統
は
、
日
本
の
統
治
な
く
し
て
台
湾
の
発
展
は
な
く
、
統
治
を
支
え
た
日
本
人
の
心
を
ほ
め
た
た
え
て
い
る
。
レ
ギ
ュ
ラ
ー
は
、
日
本
人
が
3
人
、
台
湾
人
(
漢
人
)
が
2
人
、
原
住
民
高 た
か
さ
ご
砂
族
が
4
人
。
マ
ス
コ
ミ
の
軽
蔑
す
る
よ
う
な
言
動
に
、「
出
身
が
な
ん
だ
、
同
じ
球
児
だ
」
と
は
ね
返
す
監
督
。
何
の
差
別
も
な
く
、
我
が
子
の
よ
う
に
思
う
心
に
皆
奮
い
立
つ
。
日
本
人
は
守
備
が
い
い
。
漢
人
は
打
力
が
あ
る
。
素
足
で
密
林
を
か
け
め
ぐ
っ
て
い
た
高
砂
族
は
足
が
速
い
。監
督
は
、各
々
の
強
み
を
い
か
し
、
分
け
隔
て
の
な
い
指
導
で
精
鋭
チ
ー
ム
に
育
て
あ
げ
た
。
感
動
の
物
語
は
、「
K
A
N
O
1
9
3
1
海
の
向
こ
う
の
甲
子
園
」
と
し
て
、
三
年
前
に
日
台
合
作
で
映
画
化
さ
れ
た
。
背
景
と
な
っ
た
台
湾
の
古
い
農
村
風
景
は
、
か
つ
て
の
日
本
を
偲
ば
せ
、
ど
こ
か
懐
か
し
い
。
台
湾
は
日
本
に
友
好
的
。
そ
れ
は
自
国
と
同
じ
情
熱
を
注
い
で
く
れ
た
こ
と
。
蒋 し
ょ
う
介 か
い
せ
き
石
政
府
の
過
酷
な
支
配
に
比
べ
、
日
本
の
良
さ
を
肌
身
に
感
じ
て
い
た
こ
と
に
よ
る
。
台
湾
に
「
日
本
精
神
」
と
い
う
言
葉
が
残
る
。
正
直
・
勇
気
・
勤
勉
・
自
己
犠
牲
・
責
任
感
な
ど
、
良
い
も
の
の
代
名
詞
と
な
っ
て
い
る
。
後
藤
新
平
や
八 は
っ
た
田
與 よ
い
ち
一
ら
は
、
日
本
精
神
の
象
徴
と
し
て
、
台
湾
の
教
科
書
に
の
り
、
尊
敬
さ
れ
て
い
る
。
李
登
輝
は
、
近
頃
の
日
本
に
「
あ
れ
ほ
ど
の
教
育
や
モ
ラ
ル
を
授
け
て
く
れ
た
日
本
人
は
ど
う
し
た
の
か
」
と
苦
言
を
呈
す
る
。
私
達
は
、
台
湾
発
展
の
レ
ー
ル
を
敷
い
た
日
本
人
の
経
営
力
と
高
い
志
を
、
も
う
ひ
と
た
び
思
い
起
こ
す
必
要
が
あ
る
の
で
は
な
い
だ
ろ
う
か
。
27